Dream Net SUZUKI
HOME 製品情報 取扱店 サポート 教室案内 会社紹介 お問い合せ LINKS
教室案内

ハーモニカ振興会

トピックス

甦る“疾走アンサンブル” ハーモニカ・ライナーズ 40年ぶりの復活!!1st Album「ハーモニカ・ライナーズ」 2008年2月20日発売!!  CRCI-20709/¥2,500(tax in)

試聴はこちら
Harmonica Liners

日本クラウン株式会社 第1制作本部 プロモーション部
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-12-19 東建インターナショナルビル6F
TEL:(03)6381-7724/FAX:(03)3797-0352
札 幌 〒065-0011 札幌市東区北11条東1-1-1 3F TEL:011-748-3831/FAX:011-743-3735
仙 台 〒980-0014 仙台市青葉区本町2-14-6 DKビル3F TEL:022-265-7504/FAX:022-265-7504
名古屋 〒460-0008 名古屋市中区栄2-2-21 クラウンビル4F TEL:052-221-6801/FAX:052-232-4138
大 阪 〒530-0055 大阪市北区野崎町6-16 大阪DKビル3F TEL:06-6361-7670/FAX:06-6361-7690
福 岡 〒812-0016 福岡市博多区博多駅南1-5-2 クラウンビル2F TEL:092-461-2621/FAX:092-481-2540
http://www.crownrecord.co.jp


□ 甦る“疾走アンサンブル”、ハーモニカ・ライナーズ40年ぶりの復活!
 1960年代、大学のハーモニカ・クラブなどを起点として、全国に空前のハーモニカ・ブームが巻き起こった。そうした中、「伝説のバンド」といわれたのがこのハーモニカ・ライナーズである。超絶のテクニック、ほとばしる音楽性は当時“疾走アンサンブル”と讃えられ、日本最初のエレキ・ハーモニカ・バンドとして高い人気を誇った。
 しかし活動5年で、メンバーの私生活上の都合により解散、文字通り疾走するかのようにシーンを走り去った彼らだったが、それから40年を経て、今春、遂に期は熟し再結成の時を迎えた。
 6月4日、東京の杉並公会堂で行われた再結成披露コンサートは、全くのノー・プロモーションであるにもかかわらず即日完売。急遽、昼公演が追加され、2公演が満席となった。それが日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」などでも伝えられ、ハーモニカ・ファンの間に、ライナーズ復活の報がかけめぐった。
 解散後も各々が第一線で活躍を続け、40年の時を経ても、そのアンサンブルは錆付くどころか、往時を凌ぐ疾走ぶり。加えて40年前にはなかった深い歌ごころも加えて、今、最高のコンディションで再デビューの時を迎えた。若々しいチャレンジ精神と「遊び」のゆとりを識る、実にクールなオールド・ボーイたちは、そのすばらしい音楽とバイタリティによって、中高年層に無限の勇気を与えるに違いない。
 同時に、「ハーモニカ世代」だけにとどまらず、生き生きと人生を楽しむ「カッコいい老人」たちは、若い世代にも注目される可能性を持っているのだ。

「ハーモニカ・ライナーズ」収録曲
1.ハーモニカ・ライナーズのテーマ
 「コメディアンズ・ギャロップ」
2.背中に赤い陽 (オリジナル曲)
3.リベル・タンゴ[ピアソラ]
4.ラヴ・ミー・テンダー[プレスリー]
5.じゃじゃ馬億万長者
6.サウンド・オブ・サイレンス
 [サイモン&ガーファンクル]
7.セントルイス・ブルース
 [W.C.ハンディ]
8. 魅惑のワルツ[F.D.Marchetti]
9. スモーク・オン・ザ・ウォーター
 [ディープ・パープル]
10.恋はみずいろ[ポール・モーリア]
11.チャルダッシュ・インターメッツォ
 [A.Raisner-H.Rawson]
12.太陽がいっぱい[ニーノ・ロータ]
13.愛はきらめきの中に
 〜遥かなる影〜ダンシング・クイーン ≪メドレー≫
 [ビージーズ〜カーペンターズ〜ABBA]
14.ダニー・ボーイ[trad]
15.ダニー・ボーイ/マイナスワン(ボーナス・トラック)


□ 復活した「ハーモニカ・ライナーズ」
音楽評論家:竹内貴久雄
 1963年から約5年間、たった3人で日本中を湧かせ、400ステージの公演をこなした音楽家たちがいた。クロマチック・ハーモニカ、コード・ハーモニカ、バス・ハーモニカによるハーモニカ・トリオ、その名を「ハーモニカ・ライナーズ」と言った。遠く海の向こうのアメリカには、そのモデルとなったトリオ「ハーモニ・キャッツ」が1940年代から活動を開始して世界的な人気を誇っていたが、ここ日本では、彼らに匹敵するほどの本格的なプロ・アンサンブルは初めてだったという。
 第2次大戦終結後の日本は、それまでの飢えを癒すかのように次々と海外から西洋の音楽が上陸してきた。それはジャズであったり、ハワイアンであったり、シャンソンであったりと多彩で、それらはラジオ、レコード、そして映画と、様々なメディアを通して聴かれた。音楽もまた、突然やってきた自由と民主主義の時代を謳歌していたのだ。そうした中、聴くだけにとどまらず、自分たちで音楽を演奏したいという多くの学生を捉えたもののひとつに、ハーモニカがあった。次々に各地の大学にハーモニカ同好会(それは、しばしばハーモニカ・ソサエティ、略してハモソ、と呼ばれていたと言う)が出来たのは1950年代で、60年前後には、ハーモニカは一大ブームを起こしていた。「ハーモニカ・ライナーズ」が誕生したのは、そうした時代だった。

 「ハーモニカ・ライナーズ」の最年長メンバー、1929年生まれの波木圭二は、1952年には、いち早く「レモンドロップス」の名でハーモニカ・トリオを結成、米軍キャンプ等に出演。翌年には「ハーモニカ・ダンディーズ」を結成した。こうしてひと足先にプロ活動を展開していた波木が60年代に入ってから、当時、学生プレイヤーとして注目されていた町田明夫に呼びかけ、さらに波木にとっての母校、早稲田大学の後輩にあたる鶴田亘弘が参加して1963年に結成されたのが「ハーモニカ・ライナーズ」だった。
 町田のクロマチック、波木のコード、鶴田のバス、という彼ら3人の驚異的なテクニック、演奏スタイルは圧倒的な力で聴衆を魅了し、その後も続いたハーモニカ音楽隆盛の原動力となった。
 彼ら3人は日本全国を、コンサートのために駆け回った。始発列車で九州の米軍キャンプに向かい、コンサート終了後、夜行列車に飛び乗って翌夕に帰京、その足でキャバレーをハシゴして演奏を続けるといったことも、しばしばだったという。大学卒業後、プロとしての演奏活動と日本電信電話公社(現・NTT)勤務とを並行していた町田は、テレビに映るときには名前を変えたり、かつらを被ったりして同僚や上司にわからないようにしていたという。
 だが、前述したように、この「ハーモニカ・ライナーズ」の活動は、結局わずか5年で終わってしまった。町田の転勤によるものだった。まさに、彼らのキャッチフレーズでもあった「疾走アンサンブル」の名の通り、駆け抜けた5年間であり、惜しまれつつの解散だった。
 残された波木と鶴田は、新たにクロマチックに森本恵夫を迎えて「ザ・ブルーハーモニ・キャッツ」を結成し、その後、長きにわたって日本のハーモニカ界を牽引し続けたが、1972年には鶴田が「ザ・ノーブランズ」の結成に至る。一方、転勤先でもハーモニカへの情熱を失うことのなかった町田は、在籍のままソロ・プレイヤーとしての活動を続け、やがて「多重録音」技術を開発。次第に三者三様の活動をそれぞれ独自に行うようになって、40年の歳月が経っていった。

 2006年の暮、町田と鶴田が酒を飲みながら、「そろそろ、また、やりたいね」と話したことから、「ハーモニカ・ライナーズ」再結集への動きが始まったという。その場から波木に電話、大喜びの波木を交えて3人の予定が空いている2007年6月4日に、40年ぶりの復活ライヴを行うこととなった。会社を定年退職した町田にとっては「ハーモニカが自由にやれる、一生で一番いい時期」になっていたのだともいう。
 こうして決定された東京・杉並公会堂での復活ライヴは、その反響の大きさに、急遽、昼夜2回公演に変更。倍の収容人数にしてもなお、チケットが完売したというから凄い。それほどに、60年代半ばの彼らの演奏を深く記憶に留めていたファンがいたということだ。2007年10月5日には東京・成増アクトホールでのコンサートも大盛況のうちに終了し、そして、今回のCDアルバム発売に至ったのである。
 こうして見ると、このアルバムは、いわゆる同窓会気分のものではないことがわかる。それぞれが、それぞれの方法で続けてきた現役活動の、総仕上げとも再確認とも言えるもので、正に円熟の味わいとでもいえるものを聴かせてくれる。
 再結成された彼らの演奏を聴いて驚くのは、何と言ってもそのテクニックの冴えだ。そして音楽のこまやかで豊かな表情! 千変万化する演奏が、様々なスタイルの音楽に取り組んできた彼らの実力を表わしている。
 何よりも、私が面白いと思ったのは、彼ら3人の音楽性の違いである。三人三様、それぞれが違う音楽を奏でながら、違う方角を目指しながら、それでも、この舟は同じ目標に向かってまっしぐらに進み、同じ喜びに溢れている……。そんなことを思った。それぞれが自分の役割をキッチリと果しているので、かえってこの3人がトリオを組んでいることの意味が、はっきりと伝わってくる。そのことによって、ことさら、このトリオの音楽の奥行きが増していると思う。
 若き日々の、強行スケジュールに明け暮れた演奏旅行を思い出しても、「つらかったけど、やめようとは思わなかった。楽しんで、お互いに刺激し合っていた」と言う彼らなのだ。まだまだ、これからの活躍が期待できる。


□ メンバープロフィール (カラー写真上から)
<ハーモニカ・ライナーズ>
<ハーモニカ・ライナーズ>

<40年前のハーモニカ・ライナーズ>
<40年前のハーモニカ・ライナーズ>
●波木圭二(なみき・けいじ)
 コード・ハーモニカ
1929年、東京生まれ。早稲田大学ハーモニカ・ソサエティ出身。第2次世界大戦が終わって間もない頃から、「レモンドロップス」「ハーモニカ・ダンディーズ」などを結成して、米軍キャンプなどを中心にプロ活動を始めた。クロマチック・ハーモニカ独特のヴィブラート奏法によるソロや、ハーモニカ・アンサンブルでのコード・ハーモニカ奏法を完成させた。1963年にはハーモニカ・トリオ「ハーモニカ・ライナーズ」を結成。5年後には解散となったが、「ブルー・ハーモニ・キャッツ」を結成して活動を継続しながら、ソロ活動も展開。1968年にはアメリカ、ドイツ、スイス、フランス、イギリス、中国、シンガポール、台湾などでの海外公演、翌69年からはNHK番組「おかあさんといっしょ」「笛はうたう」に出演するなど、活動の場を広げていった。近年は、東京都内をはじめとして関東近県での幼稚園・保育園の音楽指導等にも活動を広げている。

●鶴田亘弘(つるた・のぶひろ)
 バス・ハーモニカ
1938年、東京生まれ。幼少の頃から、作曲家の故・土橋啓二氏に師事。中学・高校生時に学生ハーモニカ・コンクールで入賞する。早稲田大学ハーモニカ・ソサエティ出身。同ソサエティの先輩であった波木に誘われ、「ハーモニカ・ライナーズ」結成に参加。その解散まで行動を共にし、解散後も波木の「ブルー・ハーモニ・キャッツ」でバス・ハーモニカ奏者として活躍した。1972年に木村寛のコード、渡邊章のバスという仲間を得て、ハーモニカ・トリオ「ザ・ノーブランズ」を結成し、全国的な演奏活動を地道に展開しながら、ハーモニカ教室での若手の指導育成にも尽力している。1978年には日本ハーモニカ大賞を受賞。『ハーモニカ・アンサンブル曲集』『ザ・ノーブランズ〈歌謡曲編〉』などの著書もある。

●町田明夫(まちだ・あきお)
 クロマチック・ハーモニカ
1939年、東京生まれ。武蔵工業大学附属高等学校の生徒だった頃からハーモニカ奏者として頭角を現わし、同大の学生と共演。また、コロムビア・レコード専属のミヤタ・ハーモニカ楽団にも在籍して活動。その後、「カワイ・トリオ」を経て、波木に誘われ1963年の「ハーモニカ・ライナーズ」結成に参加。大学卒業後、日本電信電話公社(現・NTT)の職員としての勤務を続けながら演奏活動を続けたが、5年後の1968年に転勤が決まり、トリオとしての演奏活動の継続を断念。それを機に「ハーモニカ・ライナーズ」は解散した。その後もソロ・プレイヤーとして活動は継続、同時にエンジニアとして「多重録音」の技術を開発。多くのCD制作、CD付き教則本の発刊を行うなど意欲的に活動を続けている。1995年には世界ハーモニカ・コンテストのフューチャー部門で第1位入賞。現在、全日本ハーモニカ連盟副理事長、ニッポン・ハーモニカ・クラブ(NHC)副会長、川崎ハーモニカ協会会長なども務める。


ハーモニカ・ライナーズ CD発売記念ライブ
日   時 :2008年3月1日(土)
開   演 :13:00、15:00、17:00(3ステージ)
会   場 :HIT STUDIO 60's 八重洲
入 場 料 :\1,000(前売り \1,000/当日 \1,500/税込み、全自由席)
問い合わせ先 :T&M 03‐3836‐6981


ハモンドオルガン教室三味線教室短箏教室大正琴教室ハーモニカ教室