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はじめて三味線が本土に渡来したのは、16世紀後半に琉球の貿易船によって三線(さんしん)が大阪の堺港に運ばれ、中小路(なかこうじ)という琵琶法師の手に入ったのが最初とされています。
琉球の三線が琵琶法師の手に渡り、琵琶より軽く、高い柱(じ)のある琵琶よりも柱のない三線のほうが自由な演奏ができるという利点があり、琵琶法師達は早速、琵琶と三線を取り替えて演奏しました。三線の錦蛇の皮を猫の皮に、また、駒や棹も繊細な表現ができるように変更しました。そして、琵琶法師達は、琵琶の代用として弾くために琵琶の音色に似せるための『さわり』もつくりました。
三味線の演奏方法は、琵琶を弾くときのように撥で絃をはじいて弾きます。また、勘所(ツボ)や指の使い方が中国の三弦や琉球の三線とはまったく違います。庶民の間に普及し日本の代表的な楽器になったのは三味線以外にないことを考えると、おそらく楽器だけが日本に渡ってきたのを日本人が工夫して、日本独特の三味線と三味線音楽をつくったものと思われます。
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