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ハモンドオルガンカンパニーがトーンホイールを生産中止した理由

1975年シカゴのトーンホイール生産工場がその操業を停止し、最後のB-3が生産されてから30年以上が経ったことになります。
約32年前、読者の皆さんはお幾つでしたか?
その1975年は、どのような年だったのでしょう。この年の大学卒の初任給は平均で\83,600円、ベトナム戦争が終結し、ソニーのベータ式家庭用ビデオデッキが発売されました。
「およげ!たいやきくん」や「シクラメンのかほり」がヒットした年でした。

ハモンドオルガンカンパニーの当時の経営陣は何故、40年にわたって作り続けたトーンホイールとの決別を決断したのでしょうか?
1960年には、開発者であり、創業者でもあるローレンス・ハモンドは会長職を辞任していましたので、勿論、彼の考えではなく、当時の経営陣が決断したことでした。
世界的な企業の方向転換ですので、さまざまな調査と議論が行われ、数多くの理由がそこにありました。
ここでは、さまざまな理由の中で、代表的な3点を説明したいと思います。

 

1.ライバル達の動向

どのような企業でも、経営陣に求められるものは、将来の展望と、それに向かう為に現状を変革する手腕です。
多くのライバル企業が、電子技術を駆使した多彩な音色の電子オルガンを、次々と世に送り出していましたので、ハモンドといえども安閑とはしていられませんでした。
1974年にはヤマハ株式会社(当時の日本楽器製造株式会社)がシンセサイザーの技術を駆使した、GX-1というモデルを発売して、その技術の高さを示していました。
このような状況の中で、トーンホイール自体の高いコストと、音源としてサイン波を発生させた後での音色加工に限界があること、サステインやパーカッション効果を得る為のキーヤーと呼ばれる装置(ハモンドはこの装置を‘ハープ’と呼んでいました)に高いコストが必要なことがライバルと戦う上で、より楽しめるオルガンを作る上で足かせになる、という判断がありました。

 

2.電子技術への期待

ハモンドオルガンカンパニーという会社は、技術開発に大変重きを置いた会社でした。
トーンホイールで生産を続けながらも、オルガン用のLSIを開発していますし、1976年に、当時としては画期的なマルチプレックス方式を使った、B-3000という機種を発売しています。

6_1   6_2
B-3000    

 

 このモデル以前の電子式のハモンドオルガン(トーンホイール以外)は鍵盤を押した時に発生するキークリックを不要なものとして、取り除く努力をしてきました。
B-3の生産を終了した翌年に発売されたこのB-3000は、ハモンドのエンジニアがB-3の持つ全ての要素を再現することが必要だと気づいたモデルなのでした。
このモデルはキークリックの為だけの音源を搭載して、しかもキークリックは一様に発生しないことにも注目し、ランダムに発生させる方式を採用していました。
当事のハモンドオルガンカンパニーのエンジニアは、電子技術でトーンホイールの音が再現出来ると信じていました。今でこそデジタル技術を使って再現していますが、当時の技術だけでは不可能でした。さすがのエンジニア達もトーンホイールの奥の深さを把握しきれていなかったようです。

 

3.一般家庭へのアプローチ

ハモンドオルガンカンパニーはオルガンを一般家庭に持ち込むためにスピネットモデルといわれる鍵盤数が44鍵のオルガンを作り、大きな成功を収めました。
下の写真はハモンドが最初に作ったスピネットモデルのMシリーズの中の、M-3というモデルです。足鍵盤が12KEY(高いCが無い)しかありませんでした。

6_3ハモンドM-3

 このMシリーズの成功により、ハモンドは、キリスト教の教会や劇場、ホールといった限られた顧客だけではなく、一般コンシューマーを狙う拡大政策が色濃くなって来ました。
パイパーという機種名の1段鍵盤で伴奏機能付きのハモンドオルガンは、パイパーレットと呼ばれる若い女性販売員を使って、一般家庭に対して驚異的なセールスを記録しました。

「音楽は誰もが楽しむべきだ」というローレンス・ハモンドの言葉が残っていますが、販売先を一般家庭に広げ、世界中に供給していこうとする中で、「一般家庭の求める楽器とは」を考えたときにトーンホイールシステムが残る余地が無かったのです。

 

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